雑記

ニート馬券師について

2016/09/22

初めてこのブログへ訪問してくれた人に向け、ここでは簡単な自己紹介させていただきます。

いきなり余談になりますが、まずは「ニート馬券師」というハンドルネームについて。

このハンドルネームの由来は、旧ブログ開設時、その名の通り馬券収入のみで生計を立てているニートだったからです。単純にその状況を表す言葉としてニート馬券師と当時付けました。

ただ、今の私は会員様に情報発信をしています。知人の事業へ出資などもしています。なので現在は、ニート馬券師ではなく、元・ニート馬券師というのが正確です。

ただ、旧ブログ開設時からの読者様も多数いることに加え、私自身ニート馬券師というハンドルネームに馴染んでしまっているので、以前同様、引き続きニート馬券師と名乗ることにしています。その旨、まずはご理解いただければと思います。

予想スタイル・馬券スタイルについて

それでは本題に移ります。

予想においては基本的に、出走馬の能力比較、適性比較・トラックバイアス・展開・枠順を重視しています。元々は血統を重視していましたが、今となっては血統は補足程度。重視している競馬ファンの多いデータや騎手についても、補足程度にしか考慮しておりません。

最も重視している予想ファクターは、パドックです。

予想のベースとなるのは前述5項目になりますが、パドックと返し馬次第では、その予想をガラリと変えることもあります。その理由はパドックを予想で最も重視している理由で詳しく書いていますので、興味ある人は参照してもらえばと思います。

馬券スタイルは、購入レース数・購入点数、いずれも可能な限り絞るタイプです。

その理由については後日また別記事で紹介させていただきますが、購入レース数で言えば、平均週に1~2レース。手応えを感じず0レースで終わる開催ももちろん多々あります。

逆に、バイアスを掴んで沢山買う開催もあるので、平均すると、週に1~2くらいになるだろうという体感です。開催単位にすると、開催によってバラつきがありますが、1開催5レースから15レース平均程度でしょう。

ちなみに、得意な距離は芝1400メートルから芝2200メートル。得意なコースは東京競馬場芝コース・新潟競馬場芝コース・京都競馬場芝コース。ダートのレースはほとんど買いません。

購入する馬券は「1番人気の評価を落とせるレースでの2番人気以下中心の馬券」が主です。期待値や配当妙味といった概念を重視しているので、それを満たす馬券の買い方として、こういったケースが多くなります。

勿論全てがそうな訳ではなく、例えばディープインパクトなど絶対的な馬がいるのであれば、その相手探しという戦略を採ることもあります。ただ、基本的には、好走確率が低いと判断した1番人気馬がいるレースでその1番人気馬の評価を落とし、他馬から一定の配当を狙うという馬券戦略をベースとしています。

購入する券種はケースバイケースですが、単複1点、馬単馬連ワイドなどの2連式馬券を1~2点、3連単を2~8点のいずれか、もしくはそれらを組み合わせた形になります。購入回数、購入金額、最も多いのは単複でしょう。

上述のよう一定の配当を狙うのが基本ベースなので、複勝のみで買うケースは少ないです。本命馬の複勝は下限140円~下限240円くらいの馬になることが多いですが、それだけの配当を狙うためだけに馬券を買うのは、不的中の確率の高さを考えるとリスクが高いと判断しているからです。それ以上の配当がある単勝購入時のみ、複勝もセットで購入しています。

好きな馬・衝撃を受けたレース

今や、競馬のことはほぼ馬券対象として見ている私ですが、競馬を始めた当初は、馬券だけでなく、レース観戦としても競馬を楽しんでいました。

本格的な競馬観戦はフサイチコンコルド世代から始めましたが、より競馬にハマり出したそのちょっと後の世代が最も印象に残っています。思い出補正なども多分にあるんでしょうね。好きな馬なども、その時代に集中しています。

牡馬の筆頭はスペシャルウィーク。

この馬を上回る能力や戦績を持つ馬は他にもいますが、牡馬クラシック当初から主役を務め、古馬芝中長距離王道G1も皆勤、2年間、競馬界の中心で、まだ競馬を始めたばかりの私を競馬に惹きつけてくれました。

武豊騎手初制覇となった日本ダービーは痺れましたし、天皇賞秋には驚かされ、ジャパンカップは絶対的な日本馬としての存在感があり、誤ウインイングランが語り継がれる有馬記念と、印象的なレースも数多くありました。何より、華のある馬でした。同世代にグラスワンダーやエルコンドルパサーというスーパーホースもおり、最強馬論争でも盛り上がりましたね。

牝馬はまず、メジロドーベル。

全競走馬の中で、1番最初に好きになったのは恐らくこの馬。競馬を始めた当初の牝馬クラシックの女王。オークスは、直線のヤマニンザナドゥの落馬に、フジテレビの実況も手伝って意識を奪われてしまいましたが、桜花賞馬キョウエイマーチとの2強対決だった秋華賞で、勝負どころから動いて、地力でキョウエイマーチを捻じ伏せたパフォーマンスには痺れました。

それを遥かに上回る衝撃度を与えてくれた牝馬は、エアグルーヴ。

ブエナビスタやジェンティルドンナ、ダイワスカーレットやウオッカなど実績でエアグルーヴを遥かに凌ぐ牝馬は近年多数出現していますが、衝撃度という意味では、今でも私の中でエアグルーヴがそれら以上です。

2000年代後半から競馬を始めた人には分からない感覚だと思いますが、先のメジロドーベルが秋華賞後に臨んだ有馬記念で牡馬に全く通用しなかったように、1990年代は、芝中長距離路線で牡馬と牝馬の差は圧倒的でした。今の地方交流重賞での、中央馬と地方馬くらいの差があると言えば分かりやすいかもしれません。

そんな状況の中、当時の古馬芝中距離路線の主役バブルガムフェローを、天皇賞秋で、真っ向勝負で捻じ伏せ、優勝してしまったのは競馬史に残したい衝撃的なシーン。翌ジャパンカップでも王者の競馬で2着に好走。エアグルーヴのような牝馬はもう2度と出てこないだろうとさえ、本気で思いました。今や海外リーグで活躍するサッカー選手は沢山いますが、誰もが通用しないと思われる中、一人者となった中田英寿のような存在と言えるかもしれませんね。

スペシャルウィーク・エアグルーヴといえば武豊騎手のお手馬ですが、2000年前後の武豊騎手は、とにかく華があり、ガッツポーズも画になってました。2頭を好きだったのは、その辺の影響もあるのかもしれないですね。

ちなみに、武豊騎手と言えば、何といってもディープインパクトがいます。アンチも多いディープインパクトですが、私自身はファンというか、競馬史の中の貴重なシーンの1場面にリアルタイムで立ち会えているという感覚で見ていました。

この頃は自分の中で既に「競馬=馬券」となっていたので、混雑して馬券に集中出来ない競馬場へ行くことはほとんどなくなっていたのですが、史上2頭目の無敗の3冠馬誕生なるか?という菊花賞では、関東から遥々、前日入りで京都競馬場へ足を運びました。凱旋門賞はさすがに現地へ足を運びませんでしたが、引退レースの有馬記念もクリスマスにもかかわらず1人で行きました。そんな行動を採る馬は、今後もういないかもしれないですね。

レースでのパフォーマンスに最も衝撃を受けた馬といえばやはり、武蔵野ステークス、ジャパンカップダートのクロフネですかね。

前者はダートでやれるのか?後者は距離は大丈夫なのか?という半信半疑の気持ちで見ていた中、東京コースで、4コーナー入口より遥か前から仕掛け、直線、他馬との差を広げるパフォーマンス。時計を見てまたビックリと、文字通り異次元の馬という間隔を味わったのはクロフネだけかもしれません。ドバイ挑戦叶わず引退となってしまったのを、本当ガッカリしたことを覚えています。

ニート馬券師になるまで

そんな私ですが、競馬を始めたキッカケは、近所のゲームセンターにあったロイヤルアスコットという競馬メダルゲーム。当時中学生の自分にとってはかなり高レートのメダルだったことを記憶していますが、毎週のようにそのメダルゲームで遊んでいました。

このゲームに関しては、競馬ゲームとして楽しんでいたというよりも、純粋にメダルゲームとして楽しんでいました。ですが、ここで競馬に触れていたことで、30代前後の競馬ファンならお馴染みダビスタ96を、発売時に購入するキッカケになったのだと思います。

当時の記憶は正直曖昧ですが、私が実際の競馬のレース体系や騎手、厩舎や血統などの基本知識を身につけたのは全て、このダビスタ96だったと思います。そこから実際の競馬にも興味を持ちG1レースをテレビ観戦するようになり、今に至っています。

馬券デビューはマヤノトップガンが優勝した有馬記念1995。

まだ馬券を買える年齢ではなかったので、父親と一緒に予想をしてタイキブリザードから馬連4点勝負。幸か不幸か馬連47倍的中し、払戻金は20万円以上。当時学生の自分にしては大金の5万円を、お年玉代わりとしてもらったのを今でも覚えています。

もしこの馬券が外れていたら、今のように競馬に取り組んでいなかったかもしれないなと思うことがたまにあります。そう考えると、この有馬記念、そしてこの馬券的中は、人生を変えた瞬間の一つだったのかもしれません。

どっぷりと競馬にハマった青春時代

本格的に競馬にハマりだしたのは高校時代からです。

キッカケは、前述のダビスタシリーズ攻略のために購読していたサラブレに連載されていた『金満血統王国』。王様・大臣・客人のキャラ、対談形式の読みやすさ、知的刺激。内容を一字一句暗記するほどに読み込み、いつしかダビスタコーナーより『金満血統王国』、ゲームよりも実際の競馬への興味の方が上回るようになっていました。

勉強や学生生活が本分な中、その時間のほとんどを競馬に使う日々。

土日はもちろん友達と遊ぶよりも競馬。平日も競馬雑誌やゲーム、レースビデオを繰り返し見る日々。大学入学以降は、当時まだメジャーではなかったグリーンチャンネルにも加入し、益々競馬漬けな日々になりました。

当然、青春や恋愛とは無縁で、楽しそうな高校生活・大学生活を送っていそうな学生を見ると、今でもちょっと羨ましい気持ちになります。当時があっての今ですから、今となれば、後悔どころか当時の自分に感謝しているんですけどね。

そんな特異な生活をしている影響か、当時の精神年齢は、同年代より少し低かったように思います。

大学卒業の時期になっても就職活動を全くしなかったことが、その1つの象徴でしょう。

馬券生活までの道のり

就職活動をしなかった自分が、大学卒業後どうやって生計を立てていたかと言うと、フリーターの定番、深夜の飲食店アルバイトです。これなら競馬漬けの生活を維持出来るからという、ただ1点を理由にそれを決めました。

昼夜逆転の、傍から見ればいかにもなダメな若者といった感じの生活を送ることになりましたが、1つ幸運だったのが、パチスロで生計を立てている人との出会いがあったことです。

ギャンブルで生計を立てている人と会うのは人生でそれが初めて。これが、私の人生に与えた影響は大きかったと思っています。

気が合った彼からはパチスロを習い、アルバイトをしつつも月26~27日は周辺各地域のスロット店を飛び回り、当時の平均月収は30~40万円。稼働時間を考えれば時給自体大したことはありませんが、アルバイトの給料を除いても同世代のサラリーマンに近い収入をギャンブルから得ることを出来たことにより、改めて「馬券で生計を立てる」ことを意識しはじめたのです。

しかし、馬券で勝てるようにはなりませんでした。

生計を立てるどころか、マイナス収支に終わってしまう月も多々。自分には1人で馬券で勝てるだけのセンスはないんだなと心が折れ、その実現を目指すのを目標にするのをこのとき諦めました。20代も中盤にさしかかる頃でした。

遅ればせながら、この頃、人生で初めての就職を経験します。

勤務先は地元の零細企業。失礼ながらボロボロの事務所で、社員も冴えないオジサンばかり。しかもそのオジサンたちが常に険悪なムードとなれば、とても働き気が起きない環境です。それまでまともな社会生活を送ったことのない自分には忍耐力も足らず、わずか1年ほどで退社することになりました。

この職場での経験が嫌な記憶となり、さあこれからどうするかとなった際、再度どこかに就職するという選択はなくなりました。とはいえ何も出来ない自分。さあどうするかとなったとき、消去法的ではあるものの、ここでもう一度、「馬券で生計を立てる」ことを目指すことになります。

とはいえ、一度は心が折れた経験があるだけに、正直自信は全くありませんでした。本当は就職したくないだけなのに、就職しない理由を正当化するために、無理矢理、馬券生活を目指すふりをしていただけだったと記憶しています。

しかし、運だけは良い私。ここでもまた、一つの幸運が訪れました。ある日突然、パドックからインスピレーションが働くようになったのです。

そのインスピレーションは感覚的なものなので、どういったものなのか説明するのは難しいのですがそこからは的中率も格段に上昇。ほどなくして、それだけで生計を立てられるだけの払戻金を馬券で得られるようになりました。

これにはもちろん、パドックからのインスピレーションだけでなく、馬券に対する様々な考え方も進歩も影響していたと思います。ただ、その辺を全て書いているとかなり長くなるので、それはまた、別の機会に譲ります。

終わりに

ニート馬券師になるまでの私の人生は、概ねこんなところです。

冒頭でお伝えしたよう、今の私はニート馬券師ではありませんし、競馬に没頭していた時代と比較すると競馬に触れる時間も減りました。

ですが、馬券師として衰えたとは決して思っていません。

記憶力や、それを元にする予想力は確かにピーク時に劣っているかもしれませんが、馬券力とメンタル面、経験値でそれは充分過ぎるほどカバーできていると思っています。予想家として自分より素晴らしい人は山ほどいるでしょうが、馬券師としての実力は、競馬以外にも様々な経験を積んでいることで、今尚、更に成長していると思っています。

このブログは、そんな私の経験を元にした馬券論を、1人でも多くの馬券ファンの方にお伝えする場として運営していくつもりです。参考に出来る部分があれば、是非それを活用していって下さい。

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